ちひろの記録

お金のこと・健康のこと・生活環境などを改善するためアラフィフから始めたことを記録します.

親が亡くなったあとに後悔したこと

この記事では、父が倒れたとき、実際に私が経験したことを通じて、こうしておけば良かったと思ったことを記録します。

 

父が倒れたのは、4年前です。

80歳でした。

 

いつ何があってもおかしくない年齢でしたが、延命治療はどうしたいか、お葬式やお墓はどうしてほしいかなど、父とは全く話してきませんでした。

 

そうした中倒れ、「いつ亡くなってもおかしくない状態です」と医者に言われましたが、私を含め家族はとまどうばかりでした。

 

時々テレビなどで、延命治療はどうするか脳死になったらどうするかなど、年齢に関係なくあらかじめ家族と話し合っておくといいと伝えていることがあります。

 

突然父が倒れ、とまどってしまった私も、そうしておけば良かったとつくづく感じました。

 

年齢が年齢なだけに、なかなか本人に聞きづらいと思うので、そういった場合は、日常の会話の中で、何となく、さりげなく本人の意志はどうかということを聞く工夫をすれば良いのでは、と思います。

 

父が亡くなったあと、こうしておけば良かったと思うことを3つ挙げます。

 

こうしておけば良かったと思うことは3つどころかいくらでもありますが、それはまた別の機会に記録しようと思います。

 

 

延命治療はどうしたいか

 

私はもちろん、家族と親せきは父の延命治療はしないという意見で一致しました。

 

父は、突発性間質性肺炎という難病の急性増悪という急変で倒れました。

 

簡単に言うと、突発性間質性肺炎は、徐々に肺が機能しなくなっていく病気です。

進行を止める手段がまだないため、難病に指定されているようです。

 

急性増悪は、ゆるやかに肺が動かなくなっていたのに、突然悪化する状態です。

そのまま亡くなるケースが多いそうです。

 

 

そのため、父が倒れたとき、医師に「いつ亡くなってもおかしくない状態です。家族や親せきの方と話し合い、明日までに延命治療をどうするか決めておいて下さい。」と言われました。

 

更に医師は「延命治療といっても病気が病気なので、一か月ぐらい延ばせるかどうかで、延ばすのはいいのですがその間ずっと苦しみ続けることになります。」とも言いました。

 

 

延命治療をしても、一か月もつかどうか。

しかも苦しいだけ。

肺の病気なので、呼吸が苦しくて溺れ死ぬような思いが一か月続くと言われたら、多くの人がそれなら延命治療しないでやってくれ、と思うのではないかと思います。

 

そういうわけで、家族と親戚一同の意志は延命治療をしないということで一致しました。

 

 

結局その時は「ステロイドパルス」という治療をして、一旦おさまりました。

おかげで後日延命治療についてどう思っているか確認することができました。

 

おさまったとはいえ、医者には「もって二週間、長くて半年」(ようするに、いつ亡くなってもおかしくない状態が続くことに変わりはない)と言われました。

 

大量のステロイドを摂取して命をつないでいることもあり、副作用も出るし予後は良くありません、とも言われました。

 

そういった状況下、父には話しの流れの中でそれとなく延命治療のことを聞く機会を持てました。

 

父は「延命はしなくていい。肺の病気じゃ苦しいだけだ」と、言いました。

実際発作で苦しんだ後だけに、誰に言われるでもなくただ苦しみを長引かせるだけということがわかっていたようでした。

 

結果、父の意志を聞くことができました。でもそれは「ステロイドパルス」という治療(?)が効いてくれたおかげです。効果なく亡くなる方もいるらしいので運が良かったにすぎません。

 

もし、倒れてすぐに亡くなっていたら、一生あれで良かったのかと自問し続けたかもしれません。

 

 

お葬式とお墓はどうしてほしいか

 

余命半年の宣告を受け、次に父はお葬式やお墓はどうしてほしいのだろうと思うようになりました。

 

余命宣告を受けた人に聞けることではありませんが、何とか会話に出たときにそれとなく聞くことができました。

 

「お葬式は普通にやってほしい。散骨なんてとんでもない。お墓のマンションみたいなのでもいいからお墓に入りたい。」

 

母は自分だったら散骨がいいと言っていたので、夫婦でだいぶ考え方が違います。

 

更に父は、できれば以前住んでいた家の近くの富士山が見える墓地がいいとも言っていました。

母の弟(つまり義弟)の買った墓地を見せてもらったことがあり、富士山が目前に見えて眺めのいいところだったから、あの隣がいいなぁ、とも言っていました。

 

父は次男なので、自分たちでお墓を買う必要がありました。

 

結果、父の希望通りというわけにいきませんでした。

けれど、遠くに富士山の望めるちゃんとしたお墓を建て、入ってもらうことができました。

私の弟が長男で、お墓を守っていくということになり、母も弟夫婦もいずれ入ることになるかもしれません。

 

その前に、お葬式も家族葬でしたが通夜と告別式をちゃんとやることができました。

大きな斎場の空きを待ってやったので、規模のわりに豪華(?)に見えました。

あれなら何とか父の及第点はもらえたのではないかと思います。

 

 

死を目前にしたときの心のケアについて

 

父は、私には死ぬのが怖い、というようなことを言いませんでした。

けれど、会話の端々にもうすぐ死ぬかもしれないという恐怖を感じていると思えることがありました。

 

死の恐怖に年齢は関係ないと思います。

 

母には時々怯えを見せていたようです。

 

父は母には甘えていたようです。

だから、子の私がことさら父の死についてわかったような口をきくことはしないようにしていました。

 

けれど、何らかのかたちで死の恐怖についてのケアをしてあげれば良かったと思っています。

 

母も、そういった心のケアのプロではないので、どうすればいいかわからなかったため、きちんと聞いてやることはできなかったようです。

 

 

テレビで、死を目前にした人の心のケアをする臨床宗教師についてやっていたのを見たことがあります。

 

父が亡くなってしばらくしてから観たので、そうか、こういうことをしてあげれば父ももう少し心おだやかでいられたかも、と思いました。

 

自分たち自身の心のケアもそうです。

 

死を目前にしたときの心のありようを事前に知っていたら、何か父に対してもっと違う接し方をしてあげられたのではないかと思っています。

 

父は私に死ぬのが怖い、とは言いませんでした。

私は父にそういうことを言われたらどうしようと怯えていました。

 

結果、そのような話しをせずに父は亡くなりました。

 

父の本心は死ぬのが怖かったと思います。

そう思わせる言動をしていたので。

 

かといってそう匂わせる言動をしたときに何かいったり、してやることをしませんでした。

 

それを後悔しています。

 

親子なのだから、もっと父が思ったことを言いやすい雰囲気をつくってやれなかったものかと思っています。

 

死を怖がっているなんて娘に見せたくなかったかもしれない。

父には父としての威厳を保ちたかったかもしれない…

そう思うことで自分をごまかしています。

 

 

 

まとめ

 

身近な人の死を目前にしたとき…

 

①延命治療はどうするか

②お墓やお葬式はどうするか

③死を目前にした人の心のケアをしてあげられるか

 

 

父は倒れたとき、いつ亡くなってもおかしくないと言われつつ2年生きてくれました。

 

おかげで延命治療をどうしたいかと、お葬式、お墓をどうしたいかということを聞くことができました。

 

けれど、もし倒れてすぐに亡くなっていたら、延命治療もお葬式もお墓も、父がどうしたかったかを聞くことができず、今頃あれで良かったのだろうかとずっと自分に問い続けることになったと思います。

 

 

とはいうものの、死を直前にした父の心に寄り添うことができなかったことは悔やまれます。

 

気休めにすぎないのかもしれませんが、できるだけ事前に相手のことを知っておくことが何より大事だと思いました。

 

 

ケンカばかりの父でしたが、言いたいことを言える相手というのはなかなかいません。

 

ろくでもない娘で申し訳なかったと思う以上に、父には感謝の気持ちでいっぱいです。